自由

 平成24年(2012)8月


 8月8日付け日経新聞夕刊の、こころの玉手箱という随筆欄にふと目
が留まりました。それはIBMを退職した後、ベルリッツ・コーポレー
ションという会社で今はCEOをされている、内永ゆか子氏という人が
エンリッヒ・フロム著「自由からの逃走」という書名の、彼女の昔の
愛読書を紹介していたからです。氏の原文をそのまま引用すると、
「自由であることはつらいことだ。すべてを自分で決めなければなら
ない。人間はつらくなったり、弱くなったりすると自由を手放し、誰
かに決定をゆだねたくなる。」「真の自由は、ことの善しあしを自分
できちんと考え判断すること。だが、それは容易ではない。人間は弱
くなると自由を手放し、だれかに隷属したくなる。それがファシズム
を生む」と、「自由からの逃走」の内容をこころの玉手箱の中で要約
されていました。

 私も10代の頃、今は死んでしまった従兄の部屋の本だなにこの本の
背表紙を見て、なぜ、自由からわざわざ逃げるのかなぁと思い、自由
を渇望していたあの時期、興味から読み始めた記憶があるからです。
 自由からの逃走という邦題の下に、今でも覚えていますが、Escape
from Freedom と書かれていました。
 作者はドイツ人で、ドイツ語の翻訳本なのになぜ英語なんだろうと、
その時不思議に思った記憶があります。
 この本は、その後の私に少なからず影響を与えたと思います。

自由とは、何なんでしょうねぇ。意志の自由でしょうか?

 今は昔なんですが、編年体の日本書紀を読むようにして、旧約聖書を
読んでいた時に土師記最後の節に、「そのころ、イスラエルには王が
いなかったので、おのおの自分が正しいと信ずるところを行った」と
いう一文を読んで衝撃を受けたことがあります。20120811182403 (2).jpg

 

 愛と自由、
 私にとって大切な二つのもの、
 愛よりは自由を、

 上は、フランスの詩人だったかなぁ、どこかで読んでいまでも忘れ
がたい言葉です。戯れ言(ざれごと)みたいだし、都都逸(どどいつ)
の一節みたいだなぁと思いつつ、いまでも頭ン中に残っている言葉で
す。


 19世紀、英国にジョン・スチャート・ミルという名の人がいて、こ
の人は、社会的・政治的意味での自由について考えたそうです。
 それは、おのおのの個人の意志の自由ではなく、市民としての自由、
社会の中での自由です。例えば、思想の自由、言論の自由、出版の自
由、報道の自由などです。
 この場合の自由とは、社会の中で、支配する側が支配される者に対
して行使できる権限を、制限させること、だそうです。
 そのために憲法で、支配する側の力を抑制することも、その方法の
ひとつと彼は考えたそうです。

 それで私は今、日本国憲法を眺めてみました。

 ほんとにあるわ。第18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)第19条
(思想及び良心の自由)第20条(信教の自由)第21条(集会・結社・
表現の自由、通信の秘密)第22条(居住・移転及び職業選択の自由、
外国移住及び国籍離脱の自由)第23条(学問の自由)

 そう言えば、戦後にアメリカの指導のもとに作られたとウワサされ
ている日本国憲法の中の、「社会的・政治的自由」という概念は、19世
紀ヨーロッパで芽生え、アメリカ経由で、日本に移植されたのかも知
れません。

 

 実存的自由と社会的・政治的自由、ちょっとニュアンスが違いますね。 (笑・・・・)